笹の葉が語る石徹白という地域の心、地鎮祭

久方ぶりの更新になりますが、記憶をたどりながら石徹白洋品店の建築記録を伝えたいと思います。
ブログにたどり着いた方が現在進行形?なのかなと間違えてしまうことも気になるところですが記録日誌とし読んでいただければなと思います。

さて、手刻み真っ只中ですが本日は石徹白洋品店の建つ場所で地鎮祭を執り行いました。
地鎮祭に関しての詳しい説明は省きますが、その大地を使い営みを始めるにあたっての感謝の気持ちを大切に工事に取り掛かかる最初の儀式ということになります。

 

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何かが違うと感じた、その雰囲気が・・

大工になって、15年!
様々な地鎮祭を経験してきました。

地鎮祭といえば神主さん地域によって設置物の違いがあるのですが、何か違和感!!
とっても違和感があるけど何かがわからない。。。

一体、この違和感はなんだろう・・・
としている内にとあることに気がつきました。

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石徹白という地域の人の思い、受け継がれる心を知ることとなったのです

通常、縄張りされた角には竹が立てられるのですが。。。
なんと笹の葉なのです!!!!!!!!!!

何かの間違いか、もしくは適当なのか!?と失礼ながら神主さんに尋ねると
『石徹白には竹がないんじゃ。竹がないから笹の葉なんじゃ。』と

納得したような、納得してないようなあらべぇですが
ちょっとずつ理解が進み、とんでもない感動が押し寄せました。

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民族性、地域性、文化・・・どう言えばいいのだろうか

この地域には並々ならぬ受け継がれてきた、すばらしいものの考えかた
現代ではなくなりつつある大切な何かがあると感じずに入られません。

あまり詳しくは知りませんが石徹白という地域は隔離された山奥、言うなれば陸の孤島のような場所に位置していながらも古くから人が住み続け繁栄してしてきた。と言うことも知ることになりました。

故にそこに住む人々はそこだけで生活ができる高度な能力と知識を持ち続けてきたと言うことになりますね。

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あるものを使う、あるものだから使える、その心が。。。

竹の話題から離れてしまったわけではありません。
竹がなければ竹のある地域から持って来ればいい。

実際、少し峠を抜ければ竹は生えているし、手に入れることが可能なのになぜ使わないのか?
言葉足らず、良い言葉が見つからなくて大げさな表現になりますが、他国の資源に頼らず、自国の資源だけで我々は生きていける文化力がある。そして節度を持った資源の利用を続けてきたからこそこの地域の資源が豊富で村が未だ残っているのだと!そう思えてなりません。

自分自身もこの世に使えない木などないの信念を貫き通したいと後押ししてもらえました。

地鎮祭されど地鎮祭、一つの笹が物語る石徹白の人々の強さ、豊かさ、文化力を垣間見えた気がしました。
地鎮祭も無事に執り行われ、引き続き基礎石の据え付けに続きます。

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