荒木昌平プロフィール

  • 2015年9月27日

大工 荒木昌平とは

 

こんにちは、
木造伝統建築を継承する
ハツリ建築専門家 荒木昌平です

 

私は、
人口約1000人の飛騨市宮川町(旧宮川村)で誕生しました。
目の前には大きな川、その両側にそうように大きな山が連なっています。

自然に囲まれた環境で一年のおよそ半分が冬である飛騨では春の訪れが待ち遠しく、雪解けとともに山菜を採りに山へ、春には伝統的な獅子舞、夏になれば川遊び。

一年を通して自然の中で遊ぶことができた環境が今思えば、私と木を繋げたと思っています。

 

高校一年の夏休み、ふと解体中の古民家の現場が近くにあり、なんとなく気になっていました。何日もその解体作業は続いていて、ある日僕はとある疑問を感じました。

 

重機で一気に潰さず、壁を落とし、板をめくり、それらを梱包したりしていました。

 

なぜ?丁寧に手作業で解体しているのだろうか?

 

そんな疑問に興味が湧いた僕は、
思い切って現場の職人に尋ねてみることにしたのです。

 

「家を丁寧に解体して他の場所で
もう一度、家を組み立てる」との事でした。

実は当時の我家も川向かいの集落にあった家を解体し移築したものだと祖父から聞いていて、なるほどそういう作業だったんだと納得しました。

 

大工さんにお話を伺ってみたところ、夏休みに解体作業の手伝いをしてみないか?と言う話になり僕は、こんな面白そうな作業をさせてもらえるなんて、と嬉しくなりその場ですぐに返事をしました。解体作業を経験したことで、木材に訳の分からない番号(番付)が記してある事が分かったり、職人さんにも貴重なお話も聞くことができました。

 

そこで学んだことは丸太のように曲がった材料でも、芯墨を打って算段をすれば組み上げられるということ。各部材には番付けという番号のようなものが記されていて、その通りに組合わせると家が組みあがること。そして素材としての木というものは、とても寿命が長く何百年も耐えられること。

全てのことに僕はとても驚愕しました。

 

とくに、解体中の建物が江戸時代後期(推定築150年)の建物と聞いて、いても経ってもいられなくなるくらい驚いたのを今でも覚えています。

家が必要でなければ壊して木材を捨てるのではなく、移築すればまた建物として使え、損傷し移築できなくても、全ての部材は転用して使える。使えない木材でも薪として燃やし、余すことなく全てが利用できる。木材というのは素晴らしいと感じました!

 

それから僕は、大工の魅力にとりつかれて、木造建築に興味を持つようになったのです。
民家解体のアルバイトがきっかけで木造建築に興味を持ち、素人なりに近所の家の造りを研究するのが趣味になりました。そして将来は、こんな建物を建てられるような大工になりたい!!と本気で強く思うようになりました。

 

それから僕は、大工はどうすればよいのだろう?と思い人に聞いてみると、

『逃げ出したくなるような厳しい修行』
『三年間は掃除ばかり』
『給料はもらえない』
『一人前の職人になれるのは耐え抜いて努力した一握りの人間だけ』

と少し手厳しい意見をよく耳にしました。
しかしどんな厳しい世界だろうと僕の心は決まっていました!

飛騨と言う土地は古くは奈良時代より続く『飛騨の匠』と呼ばれる大工職人の街で、かつては多くの大工が寺社仏閣の造営に携わりその技術を認められていました。よし匠の町・飛騨に生まれ、この土地で技術を継承する

「飛騨一番の大工になる!!」と決心しました!

何の当てもなく…
大工になるのは絶対に早い方が良いだろう…
と思った僕は高校を中退。

 

通信制高校に再入学しアルバイト生活を送りながら、1年後にようやく念願の弟子入りが決まったのです!弟子入りしてすぐに120坪という大きな、飛騨の伝統的な現場からスタートすることができました。

 

やはり想像以上に厳しい世界、はじめの2ヶ月は材料整理・材料運びに刃物を研ぐ練習。休憩時間になると職人さんにお茶を出すなどの雑用。それでも僕は一生懸命頑張りました。

親方の仕事をじっくり見ては技を盗んでいきました。

三ヶ月が過ぎた頃から、徐々に丸鋸と呼ばれる電気ノコギリや、鑿(ノミ)・鉋といった手道具をもたされ
大工という仕事に誇りが持てるようになり、手道具を使う仕事が最高に楽しい仕事になっていきました。そして、120坪という大きな家を建てるという実務経験ができたのです。

親方から
「次に仕事が入ったら一通りやってみるか?」と言われ

僕は「本当にできるのか?」不安でしたが、やってやろうという気持ちを持つようにしました。

しかし時代の流れなのか?伝統的な建物を建てるという依頼は一向に来る気配もなく、仕事を早く覚えていきたいと考えていた僕は、現実問題、

 

「手で木材を刻む仕事を覚えられる
現場がこの先来るのだろうか」

と焦りを感じていました。

その後、手刻みによる伝統構法とは全く違う建売住宅という仕事をするようになりました。

これは生活していくためです…。

 

正直、建売住宅だけはやりたいくないと思いましたが、仕事のためなら仕方がない。と気持ちに切り替えて頑張りました。建売住宅と言われるものは、土地と建物が付き、同じ建物を連続して建てることから、資材も安く仕入れられ間取りも工法も一定の方法をとることから、建築価格も安く、工期短いのが特長です。注文住宅と違って、実際に建てられた建物を見て購入する事が出来るという事で、当時は非常に人気がある一つの建築方法でした。

 

しかし、今までの手刻みによる伝統構法では、当たり前だった施主さんとのコミュニケーションがなかったのです。

家というものはただつくるのではなくて、お客さんの理想や目的を具体化してつくる事なので、お客さまの意見がない建物を造るということに、大工としての目的を見出せませんでした。また使われる素材も伝統構法のように、木を主体とした自然素材ではなく、コンパネや石膏ボード、ビニールクロスにペンキによる塗装など、限りある資源である化石燃料を原料にした素材でした。

 

自分は

『伝統的な木造民家をやりたい!!』

そんな気持ちとは裏腹に、建売住宅を始めて一年が経とうとした頃から、今まで持っていた強い志や夢も自分の中から消えかかってきているのがわかり、僕はとても悲しくなりました。そして親方の元を去ることにしたのです。

 

その後、親方は体調を崩し廃業し、親交のあった大工さんも次々と廃業されていく…

僕は、はじめから修行し直すほどの気力も無く、ただ抜け殻のように無気力で何もしない日々が続きました。一人前の大工になるんだ!という強い気持ちはあるものの…もう伝統構法の建築は終焉なのか?

 

考えていても現実は気持ちだけではどうなるものでもなく、そんな日々を過ごす中で大工をやめてしまおうか?という気持ちが見え隠れする。この2年半の親方の元で頑張った修行は何だったんだろう?無駄だったのではないか?とものすごく苛立ちを感じました。

「大工になんてならなければよかった・・・」
という思いが強くなってきたのです。

そんな僕でしたが、親方と親交のあった工務店さんにお願いして、しばらくの間お世話になる事になりました。今までと違う職場で働くという事はもちろん初めてで、習慣や感覚に違いがあり慣れるまでに時間はかかりました。

働くことで徐々に気持ちも前向きになり、日本一の大工さんになりたい!と思う気持ちが沸き返ってきました。そんな折、築100年の立派な材料で組まれた、古民家だった我が家を解体し建て替えるという話になりました

僕は大工なんだ!我が家の木材を再利用して絶対に建て替えたい!そして立派なケヤキの大黒柱や、大きな丑梁(うしばり)を再利用して、無事に建て替えることができたのです。

この経験があったからこそ、木の良さや、木を扱う技術の素晴らしさを実感し、さらなる自身の成長のために、斧や、チョウナなどの昔からある大工道具、つまり手道具を使う技術を探求していきました。

 

木の良さを実感し、さらなる自身の成長のために、斧や、チョウナなどの昔からある大工道具を使う技術を学び、時には山に引きこもって実践を繰り返し経てきたことが、古民家建築、木造伝統構法の分野をよき知るきっかけとなりました。

自然の中で永遠に生産する事のできる木という、素材を使った建築は廃材となっても土に還す事ができ、これからの日本の環境に負荷をかけない究極の循環型社会を作ることができる建築だと確信しました。僕はこの素晴らしい技術である、伝統構法の良さを多くの方に知ってもらい、これからの日本の未来を明るくする!

 

という使命をもって木造伝統構法の家を造りつづけていきます!

古民家は見た目がボロボロで柱も弱っていそうで今にも倒れそう、大きくて無駄な部屋が多く、隙間の多いその造りは冬には外と変わらない寒さで暗く、土壁は剥がれ落ち粉っぽく嫌だ。そんな悪いイメージが多くあるようで、解体処分して新しく家を建てたいという内容でした。しかし、生まれ育った木造の我家は、柱もしっかりしていて住み続けられる。

 

僕は、幼い頃から住んでいるその家に、とても愛着を持っていましたから、そんな我が家を壊して捨ててしまうなんて考える事もできませんでした。予算の都合もあり、低価格で建てられる大手住宅メーカーを優先して見学に行ったりしていたようで、今ここにある家の梁や柱、床板などはまだまだ使えるのにと寂しい思いではありました。メーカーの仕事は同じ建築でも、自分の行っている仕事とは正反対で、限りある資源である化石燃料に依存した、素材のパネル、ビニールクロス、積層材による構造材で効率良く建てられます。

30年もしたら素材の寿命が来て、処分する方法は埋立のみとなります。そんな建物を造るのは絶対嫌だ!!嫌だー!そこで僕は、これは天が与えてくれたチャンス!だと確信しました。

 

高校生の夏休みに経験した古民家のバイトで感じたこと。それは、木の命は柱になってもその木が朽ちるその時まで、永遠に使い続けられると言う事。我が家を建て替えるなら解体した材料を使って、再利用して建て直すべきだ!と僕は思い家族を説得しようと心に決めました。

『長い年月をかけて育った木が、いつまでも使い続けられると言う事はとても素晴らしく、破棄することなくに再利用することができ、新しく買う材料も少ない事から、予算も抑えられて良いだろうと思った僕は、説得ができると思っていました。

 

しかし、どういうわけか家族は首を縦に振ってくれることはありませんでした。木の良さをこんなに丁寧に説明をして、こんなに考えているのにとイライラするばかり。機会がある度に話をしては、話の腰を折られるよう関係のない話になる。そんな展開では当然、喧嘩にもなり、そんな不毛とも言える会話を何度もしているうちに、僕はある事に気がつきました。

どうしてわかってくれないのか?
こんなに素晴らしい話なのに?
こんなに真剣に考えているのに?

そもそも自分がそんな一方的な考えで自分の意見だけを無理やり押し付けてしまっていて、話を聞いていなかったのではないか?僕はかなり熱くなってしまい、周りが見えていませんでした。冷静に考えれば気づいたことですが、自分の考えだけ押し付け、自分の物差しで物事を測り、意見も聞いてくれない人の話など正論であっても『YES』とは言いたくないものです。

 

家族であればなおさらだと思います。

 

まずはお互いにどんな話でも聞きあい、信頼関係を築くべきだと思いました。そう思った僕は家族の意見を聞くことに徹しました。しばらくそんな日々が続くと、色々な想いを聞かされるようになっていきました。自分がいかに浅はかだったか思い知らされる事となりました。

 

家をつくるということは、その家族が生活をするための理想があり、不都合があってはいけないのです。例えば、調理や家事をする母親はキッチンが使いやすく、家事(キッチン)動線も気にしなければなりません。本家でしたので度々親戚も集まったりもする。その時のことも考えた間取りや、トイレの配置も考えなければなりません。

古民家では寒くて暗いなどの問題もあり、伝統的構法プラスそのような現代の生活スタイルに合わせた家造りを考えなければならなかったのです。大工としての技術的な仕事を経験したい、言わば技術技術ばかりの自分勝手でわがままな事を言っていた事がとても恥ずかしいと感じた瞬間でした。

時が経つにつれて、自分の話も聞き入れてもらえるようになり、『我が家は立派なケヤキの大黒柱に、大きな丑梁(うしばり)が使ってある良い家なんだから、この家の材料を出来る限り使って建てなおさんか』と言う返事をいただいた僕は、やっと想いが一緒になった!!

 

こんな事してみよう!!
あんな事も挑戦してみよう!!

 

嬉しくて楽しみで、想像が膨らみ『最高の仕事をしよう』そんな気持ちになりました。

経験も浅く、実際に一人で家を建てた事もない僕に、これだけの大仕事を任せてくれるということは、ものすごい博打だという事はわかっていたと思います。それでも僕のために、古材を使って伝統構法で家を建てさせてくれた家族には、感謝の一言では伝えきれないものがありました。そして、僕は自宅を解体し、使える部材を適材適所利用してついに『古民家風我が家』を無事に完成することができたのです!

 

自宅の建築を経験して伝統構法は時代遅れではなく、自然の中で永遠に生産する事のできる木という素材を使った建築は、これからの日本の環境に負荷をかけない究極の循環型社会を作ることができる建築だと確信しました。

僕はこの素晴らしい技術である、伝統構法の良さを多くの方に知ってもらい、これからの日本の未来を明るくする!という使命をもって木造伝統構法の家を造りつづけていきます!

 

 

pagetop